名文の蔵

ひとつ、蔵長によると、友蔵の諸先輩方は食費を惜しんで本を買うという。

そして名文を見つけては、それを喰らい、骨肉にし、悦楽に浸る。

しかし彼らは栄養的に失調し短命であることが多いと。

彼らの骸は蔵員が管理する蔵に集められ、年月が骸をまた名文に還すという。

 

っていうことで、本を読んでいいなーと思った語録集ですー。

■(7/24)

私の尿意はわが道を行く。  

          (伊坂幸太郎 陽気なギャングが地球をまわす2)

#伊坂さんはミステリ的な構成のうまさに定評がありますけど、僕はその言葉のセンスがすごく好きです。この作品は特にそれがもうわが道を行ってます。

■(7/23)

 山深み人も荒めぬ桜花いたくなわびそわれみはやさむ

訳:山のとても奥深いところにあるため人からその美しさを味わってもらえない桜よ、そう嘆き悲しまなくてもよい。私があなたの美しさを知っているよ。

                (万葉集、百人一首他)

#僕が受験生の時、古文のテキストにあった和歌です。それ以来僕の一番好きな言葉の一つです。僕はこの和歌に3つの理想を見出します。

 

認められなくても自分が思うようにやっていけばいい、いずれ必ず評価されるということ(自分がこの和歌の桜のようになりたいということ)。

まわりが評価していなくても自分の価値観に従って自分だけの美しさ(等)というものを追求していくということ(自分がこの和歌の作者ような人になりたいということ)。

この和歌の桜と作者のような関係を人と結んでいきたいということ。

 

 

■(7/22)

 病院の中では社会的地位や財産は怖ろしいほどに無意味だった。金や地位のある人間だからといって余計に癌が治ることはあり得なかった。

            (白石一文 この胸に深々と突き刺さる矢を抜け)

■(7/21) 

 愛は祈りだ。僕は祈る。

 祈りは言葉でできている。言葉というのは全てをつくる。言葉はまさしく神で、奇跡を起こす。過去に起こり、すべて終わったことについて、僕たちが祈り、願い、希望を持つことも、言葉を用いるがゆえに可能になる。過去について祈るとき、言葉は物語になる。 

 人はいろいろな理由で物語を書く。いろいろなことがあって、いろいろなことを祈る。そして時に小説という形で祈る。この祈りこそが奇跡を起こし、過去について希望をきらめかせる。ひょっとしたら、その願いを実現させることだってできる。物語や小説の中でなら。        (舞城王太郎 好き好き大好き超愛してる)

 

 

#この引用はもう少し長い文章からなっています。「好き好き~」の冒頭3ページにわたって語られてますから是非。僕が今までで一番衝撃を受けた、すごく好きな冒頭文です。

 

■(7/20)

そんなある日の午後、(それはもう秋近い日だった)私たちはお前の書きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木陰に寝そべって果物を齧っていた。砂のような雲が、空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、どこからともなく風が立った。私たちの頭の上では木の葉の間からちらっと除いている藍色が伸びたり縮んだりした。それとほとんど同時に、草むらの中に何かがばったり倒れる物音を私たちは耳にした。それは私たちがそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐに立ち上がっていこうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。

風立ちぬ、いざ生きめやも。             (風立ちぬ 堀辰雄)

■(7/19)

これが現代の英雄ならばもはや冒険と叙事詩の歴史は終わってしまった。 (寺山修司)

                                             

 

■(7/11)

君睡れば燈の照るかぎりしづやかに夜は匂ふなりたちばなの花 (若山牧水)

■(7/10)

あらゆる年齢にはそれぞれの果実がある。それをうまく収穫することが大切だ。しかし若い者たちはもっとも手の届きにくい果実を早くとろうと焦り、早く大人になろうと焦るあまり、身の前の果実を見落とすのだ。(ドルジェル伯の舞踏会)